2005年03月20日

黒河 ロシア国境(前編)

3年前の正月に黒龍江省の黒河という小さな街に行った。
黒河市はアムール川に面しており、アムール川は中ロ国境になっているので、対岸はロシアだ。黒龍江省の省都ハルピンから汽車で14時間くらい真北に北上したところにある。ハルピンからの距離は約630キロ。

黒河という街を知ったのは、前に中国旅行のガイドブックのところで書いたJTBのガイドブックに乗っていたから。
その後、ネットで調べたりしているうちに、どうしても行きたくなった。
冬になるとアムール川が凍結するので、ロシア人が歩いて川を渡って中国に買出しにくるそうだ。ロシア人にいわせると「中国は物資が豊富だ」ということになるらしい。
そんな話を聞いて、ますます行きたくなった。
なお、この頃は旅行にカメラを持っていく習慣がなかったので、文書のみになります。

ハルピン

上海からまずは飛行機で北京に飛んだ。上海からハルピンへの直行便もあるのだが、冬の北京を見たくて寄り道をした。
北京を1日ぶらぶらして、途中で民航のチケットセンターに寄り、黒河から帰ってくる分の飛行機のチケットを購入した。
黒河にはちゃんと空港がある。だたし、週に2便しか飛行機はこない(当時)。だから、それを乗り逃がすと大変だ。

その夜、北京から飛行機でハルピンへ。
ハルピンはさすがに寒かった。
ちょうどこの日は大晦日で、どうしても紅白歌合戦を見たかった私は、NHKの衛星放送が見られることを確認したうえで、奮発して4つ星のホリデーインに宿をとった。1泊450元くらいだったと思う。前にも書いたが、中国のホテルは新暦の年末年始は閑散期なので割引料金になる。

ホリデーインはハルピンの中心街である「中央大街」にあり、とても便利だ。
ホテルの前にはケンタッキーもある。ケンタッキーはどこでも同じ店構えだが、そのゴミを収集に来ていたのがロバ車を引いたおじさんだったのには感心した。

紅白を見終わったあと、街に出てみた。日本とは時差が1時間あるので、まだ年明けまで少し時間がある。中央大街をぶらぶら歩いてみた。
ハルピンはロシアとの関係が深いので、町にはロシア風の建物が沢山あり、異国情緒が楽しめる。
街頭の電光掲示には、気温マイナス27度と表示されていた。あまりに寒いので、雪が地面に落ちてもサラサラしていて、積もらない。風が吹くと粉雪が地面から巻き上げられる。

冬のハルピンといえば氷灯(氷の彫刻の中に電球をいれたもの)が有名。公園のようなところに大型の氷灯が並んでいる氷灯会場があるが、わざわざそこまで行かなくても、繁華街の至る所に氷灯が置かれている。

ちなみに、中国人はハルピンの氷灯を「きれい」というのだが、日本人的な感覚からすると、「ちょっとどんなもんか」というのが正直なところ。
というのは、氷の中に入れられている電球が緑や赤やオレンジや黄色などなど、すべて原色で、日本人的な感覚からすると、なんの情緒も風情も感じられない。まるで学芸会の飾り付けのようだ。

日本だったら、こういう場合、おそらく白色の淡い灯りを入れて、闇にぼんやり浮かび上がらせるような演出を好むのではないかと思う。
ただ、この「原色ギラギラ」を「きれいだ」と感じるのは、中国人の美意識というか、趣味趣向のまさに一大特徴なので、仕方のないところである。

とういわけで、氷灯には興味がなかったので、いつもどおりバーを探すことにした。
中央街の真ん中あたりに、ロシア風のバーがあったので入ってピザを食べた。
ビールは当然ハルピンの地ビール「Happi」である。このビールは中国最古のビール会社が製造しており、100年以上の歴史があるらしい。
ハルピンのビール消費量は中国で第一位、世界でもミュンヘン、モスクワに次いで第三位である。

0時が近くなったので、松花江の川岸に行ってみた。本来中国の正月は旧暦が基準だが、最近では新暦正月にも何らかの小規模な行事があるのが普通だ。ハルピンでも多くの花火が打ち上げられていた。
20分くらい花火を眺めていたら本当に凍えそうになったのでホテルに戻った。ホテルのバーには外国人が集まって大いに盛り上がっていた。私もしばらくビールを飲んでいたら、新年のシャンペンのサービスなどもあり、ついつい長居してしまった。結局寝たのは2時過ぎ。

翌朝は5時に起床した。6時台発の黒河行きの汽車に乗るためにタクシーでハルピン駅に向かう。運転手に尋ねると、外気温はマイナス30度くらいとのこと。

中国の大都市の駅は、入口が実にわかりにくい。ハルピンでも入口がわからずに15分くらい駅前をうろうろしていたら、身体の中まで冷えてしまった。駅の売店でパンと巨大なソーセージを買って、汽車に乗り込む。

このとき私が買ったチケットは「軟座」というやつで、いわゆる1等座席のチケットである。中国の汽車には、1等座席である「軟座」のほか、2等座席の「硬座」、1等寝台車の「軟臥」、2等寝台車の「硬臥」の4種類がある。
値段は、「硬座<軟座<硬臥<軟臥」の順に高くなる。
一番高い「軟臥」はコンパートメント式になっており4人で1つのコンパートメントを共用する。

このときは14時間という長時間だったので1等座席の「軟座」を買っておいた。
ところが、車内に入ってみると、なぜか「軟臥」の車両であった。
車掌いわく、
「4人用のコンパートメントの下段ベッドに、向かい合って3人ずつ計6人座れ」
とのこと。
ちょっと待ってくれよ、という感じである。

確かにそれでも一人当たりの座るスペースは「軟座」と変わらないかも知れないが、独立したシートに一人ずつ座るのと、ベッドに3人並んで座らせられるのとでは快適さが全然違うではないか。それに、閉ざされたコンパートメント内で6人が14時間過ごすというのは、いかにも圧迫感がある。

更に、日本人の私としては、特にそれを避けたい理由もある。
これだけ密着していると、みんなでトランプやろうなどという話になるに違いない。
会話が始まれば、かなりの確立で、
「むかし日本が中国を侵略したのを知っているか?」
などという話になる(ちなみに、かなりの中国人は、「日本人は知らない」と思っている。当地ではそういう教育をしているのだ)。
そういう場合、彼らとしては別に糾弾する意図はなく、単に興味本位で聞いているだけなのだが、それでも鬱陶しいことに変わりはない。

そこで、車掌を呼んで抗議することにした。
車掌のおばちゃん曰く、
「これで問題ない」
とのことだが、しつこく抗議していると、おそらく私の中国語の発音からか、日本人であることに気づいたようだった。
私の顔をじっと見たあとで、おもむろに、
「となりの車両が「硬臥」なので、少しお金を足してそちらに移りなさい」
と言った。

あとからやってきた男性の車掌がおばちゃんに向かって「どうした」と尋ねると、おばちゃんは、
「この人は韓国人で、あっちで一人で座りたいんだ」
と答えていた。

いくらかお金を足して、「硬臥」に移り、狭いベッドに寝転がっていたら、前夜3時間しか寝ていなかったせいで、景色も見ないまま、すぐに眠りこんでしまった。

(後編につづく)





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posted by 陳ゆう at 23:26 | 旅の記録 ロシア国境・黒河 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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