2005年01月25日

辺境の旅 敦煌、嘉裕関、ハミ

2001年5月の連休を利用して、西域に出かけた。

上海虹橋空港から、とりあえずチケットのとれた蘭州行きの飛行機に乗り、蘭州空港についたのが夜7時頃。
さらに西に行く飛行機は翌々日までチケットがないと言われたので、汽車で西に向かうことに決め、バスで市街地に向かう。
蘭州空港は市街地から90キロも離れており、中国の全空港の中でも2番目に市街地から遠いそうだ(1番はチベットのラサ空港)。

空港から市街地までは、黄土高原の景色が続く。ほとんど草木が見あたらない。
泥を捏ね上げて作ったような三角形の巨大な土山がひたすら続く。
NASA提供の火星の地上写真のような景観だ。

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帰りに飛行機からとった空港付近の景色

真っ暗になった頃にようやく蘭州市内に到着、すぐに蘭州駅で時刻表を見る。
運よく夜10時頃に蘭州を出て朝5時頃に嘉峪関駅に着く汽車があった。中国語で「軟臥」と呼ばれる4人用コンパートメントのチケットを買った。
この4人用コンパートメントは、同室者の当たり外れが大きく、場合によっては一晩中強烈ないびきに悩まされるなどリスクは大きいのだけれど、このときの同室者はまあまあだった。


嘉峪関

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嘉峪関駅

早朝、嘉峪関駅に着く。
本来、そのままバスで敦煌に向かう予定だったのだが、長距離バスターミナルで時間を調べると、11時頃のバスに乗っても夕方には敦煌に到着できることが判明したので、午前中に嘉峪関を手短に観光することにした。
嘉峪関は、万里の長城の西の端といわれ(ただし、もっと西にも万里の長城は続いている。多分、特定の時代に建設されたものの西端ということだと思う)、その名のとおり関所がある。
駅前で客待ちをしていたタクシーと交渉し、午前中いっぱい100元の約束で、いくつかのポイントを駆け足で回ることにした。

最初に行ったのは、崩れかけた万里の長城。
この辺の長城は北京あたりのものとは違い、レンガは積んでおらず、単なる土壁である。しかもかなり風化している。
高さ2メートルくらいしかないので、がんばればよじ登れる。
砂漠の中に、崩れかけた土壁がどこまでも続いている光景は「中国○○○○年の歴史」という感じで、結構感動した。

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砂漠に伸びる万里の長城
手前の部分は近年修復されている。

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砂漠の中の川

次に、ガイドブックにも載っている懸鉤長城を見に行く。長城が山の斜面を蛇行しながらあがっていく様子が、山に鉤が引っ掛かっているように見えることからこの名があるとのこと。
一人で30分ほどかけて途中まで登ったが、高所恐怖症のため、早々に降りた。

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懸鉤長城 
ただし、相当修復されている。
右のほうで、修復用のレンガを作っている。

嘉裕関観光の一番の目玉はもちろん嘉裕関なのだが、時間がなかったので外から眺めただけで満足することにして、長距離バスターミナルに戻り、ワンタンを食べて、敦煌行きのバスに乗車した。
敦煌までは約7時間のバスの旅。途中に1箇所だけオアシス都市があるほかは、ひたすら砂漠を走り続ける。

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向かって左側のバスが敦煌行き

敦煌

日本人は、「敦煌」という響きに弱い。
私も日本人であるから、ずっと昔に見た井上靖原作の映画のイメージを今でも引きずっている。
これを反映してか、実は敦煌は中国の中でも有数の「日本語が通じる率」の高い街となっている。もっとも、街の人たちは当然日本語など話せないわけで、日本語云々の話は、主として観光業界に従事している人に限ってのことである。

嘉峪関からのバスが敦煌に着いたのは半ば暗くなりかけの頃だった。
砂漠の中に、突然オアシスの緑が出現したので、不意を突かれてちょっと感動した。

有名な鳴沙山に行ってみたが、すでにあたりは暗く、大きな砂丘のシルエットが空を背景にそびえているだけだった。
仕方がないので、この日は街中をぶらぶら見物して過ごした。

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夜の鳴沙山


ホテルに帰り、地図とガイドブックを見て翌日の予定を検討していると、敦煌から青海省のゴルムドまで長距離バスがあることに気がついた。所要時間約10時間程度のようである。

実は、私は敦煌に興味はあるものの、有名な莫高窟はテレビや写真集で何度も見たことがあるし、鳴沙山も先ほどシルエットを見て大体の雰囲気が分かってしまったので、翌日は午前中に敦煌を出発して、ゴルムドに向かうことに決めた。

翌日は7時頃目覚めた。
早速、長距離バスターミナルに行ったが、当日のゴルムド行き長距離バスは既にチケット売り切れ。
こうなっては仕方がないので、ターミナル入り口の階段に座りこみ、所在なさげにしていると、さすがに観光地だけあって、いろいろな人が声をかけてくる。
その中で、敦煌1日ツアーの売り込みに来たおばちゃんが割とまともそうな人だったので、着いて行くことにした。

連れて行かれたのはターミナルから少し離れた駐車場で、既に8人乗り程度のワンボックスカーに5,6人の観光客が乗り込んで出発を待っていた。
ドアから車内を覗き見ると、みな善人のように見えたので、このツアーに参加して1日をつぶすことにする。

さっきのおばちゃんは客引き専門のようで、同行するガイドは若い女の子だった。しかも結構かわいい。敦煌出身で、現在は武漢の大学に通っており、今は連休なので地元に戻ってガイドのアルバイトをしているとのこと。
同行者は、チベットから来た青年警察官、武漢からの中年男性など、さまざま。

敦煌観光のお約束としては、莫高窟、白馬塔、敦煌映画村(例の映画の撮影用に作られた映画セット)、そして鳴沙山が定番コース。

まずは莫高窟に向かう。砂漠の中の岩山の側面に、小さな石窟が並んでいた。
莫高窟では、1体だけ素晴らしい菩薩の塑像があって感動したが、あとはこれまで見たことのあるテレビや写真集の方がむしろよかった。実は、特に貴重な窟や、風化の進んでいる窟は公開していなかったりするのだ。

莫高窟の観光は2時間ということになっていたが、私は早めにバスに戻ってガイドの女の子と雑談していた。実際、そのほうが楽しい。
ところが、チベットの青年警察官が時間になってもバスに戻ってこない。これがチベット流なのか?
30分待っても戻ってこないので、ガイドの女の子もそのうちに諦め顔になってきた。
実は、このチベット青年、莫高窟に着く少し前あたりから、ガイドの女の子をしきりにナンパし続けていた。かなり気があるらしい。それなら、ちゃんと時間どうりに戻ってきなさい。

ツアーのラストは鳴沙山。なんとここでは入場料を50元もとられる。
なぜに砂漠に入るために入場料が必要なのか理解に苦しむ。ツアー参加者の中には、「そんなに高いなら入らなくてよい」と言い出す親子まで出て、ゲート前でひともめすることとなった。
一般に中国では、観光施設や文化施設の入場料が、人々の収入に比して極めて高く設定されている。50元と言えば、中小規模都市に住む平均的サラリーマンの1日分の収入にも匹敵する金額である。


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鳴沙山
向こうに見えるのと同じような砂山を30分以上かけて登り、撮影したもの(疲れた、、、)


鳴沙山観光を終え、敦煌市内に戻ったところでツアーは解散。
チベット青年は、まだ女子大生のガイド嬢に未練があるらしく、
「あしたもここであなたを待つ」
などと言って、思いっきり迷惑がられていた。
割と好青年だったのだけれど、残念でした。

夕方まで一人で街をぶらぶらして過ごす。
国際観光都市だけあって、しゃれたオープンカフェなどもある。私はここでピカタを食べた。

翌日は新ジャンウイグル自治区のハミに向かう予定である。
本日の失敗に懲りて、この日のうちにバスのチケットを購入した。

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敦煌のオープンカフェで

ハミ

ハミ行きのバスの中は、敦煌までの車内とはガラリと雰囲気が変わり、すでに完全にウイグルの世界となった。乗っているのは殆どウイグル人である。言葉も顔も、体臭も違う。

私はこのとき初めてウイグル語を聴いたが、歌うような抑揚があり、とても心地よく感じた。
また、彼らは、漢民族と比べて自然体というか、リラックスしている印象を受ける。
漢民族のような世知辛さを感じさせない。

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敦煌→ハミのバス

写真で見ると結構よさげなバスである。
しかし、このバスが実は曲者だった。
中国のバスの旅は、サスペンションの悩みにはじまり、サスペンションの悩みに終わる。このバスも同じ。
途中の悪路で少しスピードを出すと、昔物理の授業で習った共振現象みたいに徐々に前後方向のゆれが大きくなり、やがて大きなローリングが始まり、走行不能となってしまうのだ。その度に、徐行してローリングを抑えなければならない。

砂漠を走って、オアシス都市であるハミに着いた時にはすでに午後4時を回っていた。

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ハミはさすがにウイグル色が濃い。街をラクダが歩いている。
タクシーの運転手がなぜか女性が多く、しかも皆美しい、特に目元が。
なんと言うか、微妙に涼しげで、揺れるような色気がある不思議な目元をした人が多い。このあたりは、東洋と西洋の接触点である。
残念ながら、「写真を撮らせてください」とは、はずかしくて言い出せなかった。

さて、ハミまで来て、その後の行程をどうするか悩んでしまった。
連休はあと2日を残すのみ。私としては更にバスに乗って、ウルムチまで行きたかった。ウルムチまではバスに1晩乗れば着く。
問題は、ウルムチから上海までの帰りの飛行機のチケットが取れるかである。もし飛行機が満席だった場合、連休中に上海に戻れない。

悩んだ挙句、涙を飲んで安全策を選択することにした。
つまり、ハミからウルムチ発北京行の汽車に乗り、とりあえず蘭州まで戻ることにした。
夕方の汽車でハミを離れ、シルクロードを一晩かけて戻って来た。

翌朝目覚めて外を見ると、蘭州の手前が一面の雪景色だったので驚いた。季節は5月である。昨日までいた砂漠との対比が印象的だった。


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蘭州までもう間もなくのところで、一面の雪景色。
何事かと思った。

蘭州で少し時間があったので、市内見物をした。
蘭州は、黄河の両岸に細長く伸びた都市である。このあたりの黄河はまだ川幅が狭く、普通の川と変わらない。

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蘭州市内の黄河

蘭州からは飛行機で上海へ。
ウルムチまで行けなかったのが心残りだ。



posted by 陳ゆう at 03:23 | 旅の記録 敦煌、嘉裕関、ハミ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする