2005年02月28日

北朝鮮国境/ 丹東・大連

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国境の鉄橋



丹東に行こう、と思いついたのは、当時北朝鮮が話題になっていたからだ(2003年初め頃)。

今も北朝鮮は話題の的だが、当時話題になっていたのは軍事的なことではなく、経済面だった。北朝鮮政府が、「国境の街である新義州市を経済特区に指定して、自由主義経済を試行する」と発表したことで話題を集めた。

当時の発表によると、「新義州市の経済特区はフリーポートとし、輸出入関税はなし。通貨は米ドルと人民元。外国人のビザ無し入国を認めるほか、定住外国人は同区の議員にもなれる」、という随分思い切った計画だった。
北朝鮮の言うことではあるが、当時は皆、結構本気にした。

特区の行政長官は、外国から招聘することになっていた。
指名されたのは中国系オランダ人の楊斌氏(39才)。同氏は軍隊出身だが、この若さで事業で成功し、当時中国で資産額2位の大富豪だった。自由主義経済の運営を任せるに適任と思われたのだろう。同氏も就任を快諾した。とんとん拍子である。

新義州特区へのノービザ入国が開始される2002年9月30日には、中国在住の物好きな日本人数名も、わざわざ丹東市まで出かけて、北朝鮮への入国を試みた。当時、インターネットの掲示板にも「北朝鮮へのノービザ入国に挑戦する」旨の書き込みがいくつか見られた。

しかし、結局、誰も入国できなかった。入国どころか、中国側の出国ゲートすら誰も通過できなかった。イミグレで「そういう話は聞いていない」と言われて追い返されたそうである。

その後、「新義州市経済特区」は、2005年の今に至るも実現しておらず、北朝鮮の現状はご存知のとおりである。
このドタバタの原因は、要するに、隣国中国が「経済特区」での自由主義経済の試行から出発して、その後急速な経済発展を成し遂げたので、北朝鮮としても大いに焦ったのだろう。その気持ちは(あくまでも「気持ちは」)理解できないことはないが、それにしても、かなりのフライングだった。


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人工衛星から見た北朝鮮の夜景(wikipediaより転載)
中国内陸部でさえ明かりが見えるのに、北朝鮮は平壌以外は真っ暗である



私が北朝鮮国境を一目見たいと思ったのは、ちょうどそんな騒ぎがあったころだ。
中国在住者にとって最も楽に行ける北朝鮮国境は、遼寧省の丹東市。大連からバスで6時間程度の道のり。楽なものだ。


大連


大連は日本人にとって馴染み深い街だ。
歴史的に関係が深いだけでなく、今も中国進出企業の日本人駐在員が数千人居住している。街はきれいに整備されて、日本のどこにあってもおかしくないような現代的な大都市だ。日本料理屋や日本人向けのクラブやスナックも多い。


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大連のビル街(ホテルの部屋から)



大連に詳しい方なら、この写真を見れば私がどこに宿泊したかわかるはず。正月割引期間中だったので、結構いいホテルに泊まった。
ちなみに、中国では、正月期間中は外国からのビジネス客が減少するので、高級ホテルはどこも閑古鳥が鳴いている。中国の元旦は旧暦元日なので、新暦元旦には中国人旅行客もこない。このためか、高級ホテルなのに、バーも売店も閉まっていた。




大連の海

大連の海はとても綺麗だ。そして、海流の影響で1年中凍結しない。
いつも上海の泥色に汚れた川や海や池ばかり見ている私は、涼しげな水辺の景色に飢えていた。大連に着くなり海を見に行った。市中心部からタクシーに乗って15分程度で到着。
海岸に丘陵が迫っている景色はまるで日本のようだ。
実は、大連には何度も来ているが、何度行っても感動する。将来は大連に住みたいとさえ思う。

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海に突き出た半島



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水も綺麗


海に沿った丘陵地帯に、観光用の小綺麗な舗装道路が整備されている。しかし、綺麗だからと言って、この道路を歩こうと思ってはいけない。結構長いのだ。そして、途中でタクシーを拾うのはかなり困難だ。私はひどい目にあった。


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この道である



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つり橋を越えて、道はまだまだ続く
きれいな景色だが、この時点ですでに全然楽しくない



くたびれ果ててホテルに帰り着き、一泊して、翌日はバスで丹東へ。
途中、大連の工業開発区を通り抜ける。広い整備された敷地に工場が沢山ある。日本でイメージする工業地帯の景色とは異なり、とても綺麗で環境のよい場所だ。日系企業の看板も沢山ある。もともと、日系企業の中国進出は大連から始まったのだ。今では数千社が大連に工場や事務所を構えている。
今はどちらかというと上海が注目されているが、上海地区への企業進出がブームとなったのは、もっと後のことだ。

大連を出て間もなく、整備された快適な道路は終わり、普通の田舎道をバスは走り続けた。





丹東

丹東に着いたら、すでに真っ暗だった。本当はもっと早い時間に到着するはずだったのだが、中国名物の路上での乗客勧誘(詳細は「青海省」のページを参照)が長かったので、遅くなったのだ。

丹東市は結構大きな街で、経済も発展している。とは言っても、メインストリートに平行した賑やかな通りが3,4本と、それに直行する数本の道が市中心部のすべてである。
街を少し歩いたあと、まあまあ良さそうに見えた中級ホテルに泊まることにした。3つ星ホテルで、1泊250元くらい。僻地の割に値段が高いのは、国境があり、客に困らないからか。
この地では、北朝鮮人も上得意客だ。ホテルのフロントにも、チマチョゴリを着て、北朝鮮国旗のバッチをつけた女の子がいる。いかにもという感じ。なお、北朝鮮のバッチをつけていたが、多分、中国人の朝鮮族の女の子だと思う。中国内の朝鮮族は、基本的に、中国語と朝鮮語の完全なバイリンガルだ。つまり、両方とも「母国語」である。

話は少し外れるが、「母国語」という言い方は、いかにも日本的だと思う。
国と民族や言語が一致していない地域は沢山あるし、また、多民族国家や多言語国家では「母国語」では意味が通じない。ちなみに中国語では「母語」と言う。これならどこでも適用可能だ。英語でも「mother tongue」「native tongue」などと言い、国家の概念は出てこない。

丹東には、なんと日本料理屋があった(2件あるらしい、私が入ったのは、そのうち小さい方)。客は殆ど中国人だが、最近では日本人ビジネスマンも結構この街に来るらしい。

一人で食事をしていたら、和歌山県で鉄工所を経営していると言う日本人のおっさんに突然話しかけられた。なお、「おっさん」という表現はこの文章の文体にあわないが、それ以外に彼をうまく形容する語句を思いつかないので、便宜上使用する。
このおっさん、丹東に若い愛人がおり、彼女に逢う目的だけのために和歌山から丹東までやって来るらしい。一緒に食事をしていた女の子は、たいして可愛くもなく、憮然とした表情でメシを食っていた。でも、おっさんは楽しそうだ。
「こんなに若くて、可愛くて、優しい女を囲えるなんて、中国はいいところだ」と上機嫌でしゃべっていた。

私としては、率直に言えば、「若い」以外はすべて同意しかねたが、こういうものは本人さえ満足すればよいものであるので、勿論、うなずいた。
おっさんは、ビールを注いでくれながら、「ずっと働いて、この年になってようやく愛人が囲える身分になった」と、しみじみ述懐した。それはそれで良いことだ。

私にも一人紹介してやると言われたが、これは遠慮した。
「今晩寂しいだろう」とも言われたが、そもそも私は旅行先で女性を買わないのである。別に買ってもよいのだけれど、面倒なのである。

和歌山のおっさんが愛人とホテルに帰ったあと、しばらくだらだら飲んでいると、若い白人男性が一人で入って来て、隣のテーブルに着いた。
席に座るなり日本語で「お茶ください」と発言したので、おおっ、と思った。
実は、中国には、日本語を話す欧米人は結構いる。アジア好きか、またはアジア方面の仕事を担当していて、日本在住の後、中国に移ってきた人が結構いるのだ。

私はこれまでに、中国で、日本語を流暢に話すイタリア人(イタリア政府関係者:日本から転勤)、オーストラリア人(高校時代に長野県でホームステイ:現在は上海で英語教師)、米国人(もと沖縄で海兵隊:現在は上海のクラブでDJ)に出会ったことがある。

さて、「お茶ください」は結構いい発音だったが、店員には通じなかった。「お茶」という日本語くらい知っているはずだが、白人が話すのは英語だと思い込んでいるに違いない。だから通じないのだ。中国語に訳してあげた。





北朝鮮国境

翌朝、北朝鮮が見える川岸に向かった。
丹東の街自体が川岸にあるので、中国の陸の国境としては一番便利な国境だと思う。
川の向こう側には、閑散とした、寂しげな景色があった。


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さて、どちら側が北朝鮮でしょう? 経済力の差は一目瞭然



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北朝鮮側の閑散とした景色



川には2本の鉄橋が架かっている。正確に言うと、そのうち一本は中国側から半分ほど行ったところで落ちている。朝鮮戦争の際、中国軍が爆破したのだ。戦後、隣に新しい鉄橋が架けられた。古い方の鉄橋は今は記念物として保存されている。
この鉄橋は、中国人にとっては、正義の人民解放軍が悪の米軍に勝利した記念碑である。
入場料を払うと先端まで歩いて行くことができる。私も鉄橋の先端まで、つまり川幅の半分あたりまで行ってみた。北朝鮮側には何も面白いものは見えなかったが、人影が見えたので、ちょっと感動した。


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橋の残骸の先端付近から見た北朝鮮



余談だが、中国では朝鮮戦争のことを「抗美援朝戦争」と言う。「美国」は中国語でアメリカのこと。「アメリカの軍事侵攻から朝鮮を救うための戦争」という意味である。
以前、中国で仕事をしている米国人から、「日本では朝鮮戦争を何と呼ぶか」と質問されたことがある。「朝鮮戦争」つまり英語の「Korea War」と同じだ、と答えたら、日本人はベリーグッドだと言われた。


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国境の川に架かる鉄橋




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鉄橋の残骸の先端部から見た北朝鮮
左は新しい鉄橋



2番目の写真をよく見ると、画面中央付近に小さな観覧車が見えると思う。
なんでこんな所に観覧車があるのか意味不明、完全に場違いである。しかも止まっている。そもそも回る構造になっていないのかも知れない。
“北朝鮮の愉快な生活”を演出する意図と思われるが、逆効果であり、痛々しさが増すばかりである。

国境見物は、1時間もあれば十分だった。
丹東には他に特段面白いものも無いので、早々に大連に戻ることにした。しかし、大連行きのバスのチケットは売り切れ。仕方ないので、瀋陽に行くことにした。瀋陽までは道路が良いので、3時間程度で到着する。

瀋陽には2年程前に行ったことがあったが、その後の発展ぶりに驚いた。
瀋陽での話は省略。




posted by 陳ゆう at 11:48 | 旅の記録 北朝鮮国境/ 丹東・大連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする