2005年09月16日

海辺の万里の長城 山海関

10年以上前に、万里の長城の東の端の写真を見た。
海に落ち込むようにして突然壁が終わっているその景色に、強烈な印象を受けた。
その後、10数年を経て、たまたま中国で暮らすことになったので、現地を見に行くことにした。
写真の場所が「山海関」という場所であることは、調べてみるまで知らなかった。

山海関という名称は、昔の関所の名前であるとともに、現在では町の名前にもなっている。
中国河北省の東北,遼寧省との境にある渤海湾岸の町。鉄道の駅名も山海関だ。
天津から汽車で2,3時間くらいだったと思う。

山海関が長城の東の終点になったのは、六世紀半ばのことらしい。
その後、14世紀には「山海関」という名称の元になった山海衛が設置された。
この関所は、女真、契丹に対する国防の要とされ「天下第一関」と称され、今でも「天下第一関」の建物が市内に残っている。この要塞は、ヌルハチ、ホンタイジら満州族の侵入を防ぎ、不落の要塞と言われた(らしい)。
なお、旧日本軍の「関東軍」という名称は、この関より東を活動範囲としていたことからつけられた。


海辺の万里の長城

汽車をおりると、それほど広くはない駅前にタクシーが数台客待ちをしていた。
現地まで行く公共交通機関はないので、タクシーで行くしかない。
値段は交渉次第だが、いくらだったか忘れた。
それほど高くはなかったような気がする。

私が選んだのは、中年の夫婦がなぜか一緒に乗り組んでいるタクシー。
旦那さんが運転し、少々おせっかいなほど親切なおばちゃんが途中で写真まで取ってくれた。
駅から海岸まで車で15分くらいだったと思う。
車をおりて、海岸を100メートルくらい歩いていくと、昔写真で見たあの景色があった。

IMGP0420.JPG
万里の長城の東端(クリックで拡大)


IMGP0419.JPG
こんな感じで、陸に入っていく



ただの土手のようだが

下の写真は、ただの土手のようだが、これも万里の長城である。

IMGP0422.JPG

もとからこんな状態だったという訳ではないだろう。
実は、万里の長城は多くの部分でこういう悲惨な状態となっている。
聞くところによると、近所の農民が家を作るためにレンガを持ち去ってしまうのだそうだ。
これには中国の当局も対策に頭を痛めているらしい。



参考までに西の端も

万里の長城というのは時代によって何度も再建されたり、延長されたり、ルートが変更されたりしているので、どこが端かというのは実はハッキリとは言いにくい。特に西の端はそう。
下の写真は、むかし行った甘粛省の砂漠の中にある西の端の一つ。
万里の長城の西端は、砂漠を流れる川に突き当たって終わっていた。
この土の塊のようなものが、その昔は砦だったそうだ。

IMGP0068.JPG
山海関の「天下第一関」に対して、こちらの名称は「第一dun(土へんに敦)」。
こちらも建設は比較的新しく、1533年。
57mの垂直な崖の上にある。

IMGP0066.JPG
この川で行き止まり。
右端に、砦のあとが写っている。
(クリックで大画面に。壁紙などにどうぞ。)







posted by 陳ゆう at 15:43 | 旅の記録 海辺の長城 山海関 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする