2014年08月11日

書評:「清朝の王女に生まれて」愛新覚羅 顕g 著

読書感想文です。

5月末に北京の病院で亡くなった愛新覚羅顕g(あいしんかぐら・けんき)は、清朝最後の王女と言われた人物。
享年95歳。

愛新覚羅顕gさんが死去 「清朝最後の王女」
(2014/5/27 0:36 日経電子版)

愛新覚羅 顕gさん(あいしんかくら・けんき=清朝粛親王の末子)親族によると、26日、北京市内の病院で死去、95歳。死因は不明だが数カ月前から入院していた。葬儀は28日、同市郊外で行われる。旧日本軍のスパイとして「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた川島芳子の実妹で、中国で生存する「清朝最後の王女」と呼ばれた。

 1918年、旅順(現遼寧省大連市)で生まれ、日本に留学。41年に中国に帰国、58年にイデオロギー闘争で「右派分子」とされ、懲役15年の判決を受け投獄された。著書に「清朝の王女に生れて 日中のはざまで」。(北京=共同)

このニュースで紹介されていた自伝「清朝の王女に生れて 日中のはざまで」(中公文庫)を読んでみた。
著者は少女時代に日本に留学し、学習院女子と日本女子大に学んだ。日中戦争がはじまったころに満州国に戻り、そこで終戦を迎える。
中華人民共和国建国後は、普通の中国の庶民として北京に住み、食堂を経営したり、翻訳会社に勤務したが、1950年代の反右派闘争の時期に逮捕され、1973年まで15年間を獄中で過ごした。
その半生を自ら日本語で執筆した自伝である。

こう書くと、中国現代史の生き証人のごとき叙述が読めそうである。しかし、この自伝にそういう歴史物語を期待するとがっかりするかも知れない。

全体的な印象をざっくりと言えば、これは、
「おばあちゃんの思い出話し」
だ。
おばあちゃんの家に遊びに行って、三日間、とりとめのないお茶飲み話しにつきあった、そういう印象の著作だ。

彼女が生きた時代は、ユン・チアンの「ワイルド・スワン」の後半部分と重なる。
しかし、「もうひとつのワイルド・スワン」を期待してこの著作を読むと、期待はずれに終わるだろう。

ワイルド・スワンの著者ユン・チアンは俯瞰的視点で物事を描いた。
ユン・チアンの父親は延安時代からの共産党員で、四川省の共産党幹部をしていた。母親も、共産党の要職にあった。だからユン・チアンは一人の少女の視点を超えて、共産政権成立後のできごとを広く見ることが出来た。家族の三代記を時代背景のなかに位置づけることに成功し、家族を描くことで時代を描いた。

愛新覚羅顕顕gさんは、血筋的には皇族でも、満州国消滅後の中国では単なるひとりの女性に過ぎなかった。社会的地位も、特権もない。
大衆向けのニュースメディアが存在しない時代に、一庶民が身の丈を超えて社会を知る方法はなかった。

出版社が付けた裏表紙の紹介文には、
「文革下二十数年の獄中生活・強制労働など、さすらいの王女が自らの劇的な半生をつづる感動的な自伝」
とある。しかし、本の中では投獄された経緯や理由が説明されないし、出獄後の仕事についても、ただ天津の農場と説明されているだけで、どういう性質の場所でどういう立場で過ごしたのかがよくわからない。
客観的なディテールが描かれないので、著者が受けた扱いの性質や不条理さの程度が、本を読んでもわからない。

普通なら編集者が手助けして上手に仕上げるのだろうが、巻末解説で上坂冬子が書いているとおり、著者は他人の手が入ることを非常に嫌った。
「誰にも代筆は頼まない。対談形式も嫌、インタビューも嫌。上手下手はさておいて、ともかく自分で一字ずつ書くつもりです」
と仰ったとのこと。

ちなみに、もしも愛新覚羅顕gさんが1958年に懲役刑に処せられることなく北京で暮らしていたら、もと皇族という血統からして、1960年代の文革期に一般民衆の手による苛烈な迫害を受けていた可能性が高い。
幸か不幸か文革期の大半を刑務所の鉄格子と塀に守られて過ごしたので、生命の危険もなく混乱期を乗り越えることができたのだと思う。

ちなみに、実際のところをいえば、べつに「清朝の王女」でなくても、建国前後から文革期にかけての中国には波瀾万丈の激動の人生を歩んだ人は多かった。
いわれのない投獄や、死に至る不条理な暴力、僻地での強制的な重労働、それによって引き起こされた家族離散や自殺など、珍しくもない時代だった。

しかし、そういう「普通の人」の自伝は、日本ではなかなか書籍にならない。中国人ならば周囲の年長者からこの類の身の上話を頻繁に聴くだろうが、それが日本語になる機会は少ない。

思うに、この著作の価値の一端は、そんな「身上話」が、日本語で出版されたことにあるのかも知れない。著者がたまたま清朝の皇統の女性であったために、愛新覚羅一族に関心を持つ人が多い日本での売上が見込めたのだろう。

なんだか酷評しているようだけど、この自伝は決してつまらない本ではない。
文章は素人の文章のままで、多分ほとんどリライトされていない。プロに手を入れられることを好まない頑なな態度は、お姫様っぽくて面白い。
物怖じしない楽観的な世界観や、社会の事象を客観的に描くことにあまり関心が感じられないのも、お姫様育ちの故かも知れない。そんなお姫様育ちにもかかわらず、頼るもののない時代を自力で生きた半生には、感銘を受ける。
ノンフィクション文学としてのできはともかく、愛新覚羅顕gという女性の人物像は、それなりに生々しく感じられると思う。

合掌





posted by 陳ゆう at 14:32 | 雑記帳 その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月26日

台湾 国会占拠 (服貿協議)

台湾の学生による立法院(国会)占拠については、日本メディアの扱いは極小ですね・・・誰に気を使っているのやら。

その結果、日本で知りうる台湾の状況は、主としてネット放送などでやっている学生側からの視点ばかりになってますね。
実際には、それと反対の意見(つまり与党側の意見)もあるわけで、そちらの立場からの時事評論の動画を拾ってみました。

台北の中天電視(中天テレビ)の番組です。
中天テレビは資本的に中国寄りのテレビ局です。
服貿協議に関しては現政権に賛成の立場をとっています。





一貫して、中国との貿易自由化は台湾経済にとって有利である、という主張をしています。
そのあたりの議論は、ここでは紹介しきれないので、興味のある方は動画を見てください。このデモ騒動の背景にあるのは与野党の政争だとも言っていますが、まあそうなんでしょうね。そこにいわゆる「活動家」が乗っかったという、どこにでもある構図。


それはともかくとして、この番組を野次馬的視点から見て面白かったのは、「人民の代表」をめぐるお話し。

コメンテーターいわく、

「学生は台湾人民の意見を代表していると言うが、台湾人民の誰もこいつら学生に投票していない。台湾の人民が票を入れたのは、学生たちが激しく批判している呉育昇など与党の国会議員である。」

あえて「こいつら」という荒い言葉で翻訳した理由は、コメンテーターが罵倒口調でしゃべっているからです。

いわく、
「国会占拠の映像を見ると、学生が掲げる縦幕、横幕には、「人民」という文字が並んでいる。学生たちは、「人民」を代表して国会を占拠しているつもりらしい。」


画像を見ると、確かに、「人民」の2文字が随所に見受けられます。

taiwanfumaos.jpg

コメンテーターは続けます(動画の11:10あたりから)。

「世界の歴史上、最も『私は人民の代表だ』と言った人物は、誰か? 毛沢東である。」

taiwanfumao2s.jpg

「共産党の新聞は『人民日報』、著書は『中国人民よ立ち上がれ』、思想は『人民を師とせよ』、軍隊は『人民解放軍』、生活は『人民公社』、スローガンは『人民のために』、党のホームページは『人民網』」

「しかし、よく考えろ。毛沢東が中国の13億の人民の代表か。」

「君たち学生は、中国共産党の悪口が大好きだろう。しかし、君たちは、毛沢東と同じだ。人民の代表ではない。私達は君たちに投票していない。君たち国会を占拠しろと頼んでもいない。こういう暴挙は絶対に許さん。」

なるほど、台湾だと、どっちにせよこういう話の持って行き方になるんですね

**

ちなみに、このコメンテーターがこれほど、
「学生は選挙で選ばれた人民の代表ではない」
と強調しているのには理由があります。

台湾では2012年に総統と立法院議員のダブル選挙があり、そのときの主要な争点は対中政策でした。台中貿易自由化も、大きな論点になっていました。
現与党の国民党と現総統の馬英九は積極策を掲げ、一方、民進党(日本で言えば民主党にあたるリベラル政党)は、台中貿易の開放は大企業のみが得をし、中小零細企業を圧迫することになるとして、消極的でした。

きわめて盛り上がった国民的議論を経て、選ばれたのは国民党と馬英九総統でした。
そのあたりの事情は、たとえば下のサイトで確認できます。

NHKオンライン時事公論 https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/106791.html

よって、現政権を支持した人は、選挙結果に従って台中貿易の拡充を図ることは当然であると考えているわけです。




posted by 陳ゆう at 23:32 | 雑記帳 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月21日

延安での宿泊 (渉外ホテルに泊まりましょう)

延安での宿泊の注意点

延安は観光客が多いので、街が小さいわりにホテルの数は多い。しかし、その多くは外国人を泊めることのできない内国民専用のホテルです。

中国では、外国人は、「渉外ホテル」の登録をしているホテルにしか泊まれない。渉外ホテルの登録をするためには、ソフトとハードの両面に関して一定の水準を備えたうえで、政府の旅遊局に申請して認可される必要がある。この認可を受けずに外国人を宿泊させると、ホテルには罰則が科せられる。
ちなみに、中国の出入国管理上、外国人旅行者は中国に滞在している間は日々の宿泊場所を公安局に届け出る決まりになっている。渉外ホテルは、この届出を宿泊客に代わってやってくれている。もしこっそりと渉外ホテル以外のホテルに泊まったりすると、公安局への届出がされないので、出入国管理法違反ということにもなってしまう。

上海、広州などの大都市やその他の沿海地区ならば一泊150元程度の安ホテルでも渉外ホテルの登録をしているところが多いので、旅行者がこの登録の有無を意識することはそもそもない。
しかし内陸部では事情が異なる。たとえば四川省では、省都である成都駅前の10階建て一泊200元のホテルでも渉外ホテルの登録をしていないことがあった。

延安は内陸部の街であって、しかも、観光地としての最大のセールスポイントは「愛国教育の拠点」であるから、やってくる団体客のほとんどが中国人というドメスティックな街である。渉外ホテルの登録など、していないホテルがほとんどである。
よって、外国人が延安に行くと、そこここのホテルで「すみません・・・うちは外国の方はお泊めできません」と断られて途方に暮れることになる。
Ctripなどの大手ホテル予約サイトで予約しても、外国人であることがわかると、キャンセルの電話がかかってくる。

延安の低価格帯のホテルは、ほぼすべて渉外ホテルの登録をしていないと思ったほうがよい。よって、普段は貧乏旅行を心がけている人も、延安では奮発して中級ホテルに泊まりましょう。せいぜい300〜400元、日本円で6000円程度。この値段で、清潔なダブルベッドとシーツ、豊富な温水のシャワー、アメニティー一式、無料のネット接続環境、セーフティボックス、冷蔵庫、大型液晶テレビ、などなど、必要なものはすべて揃った眺めの良い部屋に泊まれます。

お勧めは下の2軒。どちらも延安の中心街にあり、街歩きにも観光にも便利。付近を通るバス路線も多い。

(地図A) 銀海国際大酒店  360元〜  Ctripの予約ページ

(地図B) 延安旅遊大廈  300元〜  Ctripの予約ページ

延安旅遊大廈は、1階ロビー横に鉄道チケットの販売代行会社が入居しているので、そういう意味でも便利。


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杭大賓館(抗大ホテル)について

延安のホテルの話をするならば、やはり抗大賓館(抗大ホテル)にも言及すべきでしょう。
抗大賓館の「抗大」とは、「抗日軍政大学」を略した言葉。抗日軍政大学は、今の延安の中心街のあたりに1936年に設置され10年間存続した軍事学校で、建学の目的は日中戦争を戦う人材を育成することだった。各地にできた分校とあわせると日中戦争の期間中に十数万人の卒業生を送り出し、日中戦争、後には国民党との内戦を戦う上で、重要な役割を果たしたとされる。


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抗日軍政大学そのものはとうになくなっているが、その跡地にはホテルが建てられ、抗大賓館(抗大ホテル)となった。今でも、ホテルの門の脇にはかつての抗日軍政大学の正門が保存されている。同じ敷地内には2階建の「抗日軍政大学記念館」が建っており、そこそこ広いスペースに日中戦争や国共内戦の戦史資料が展示されている。

yanan012.jpg

さて、この抗大賓館のホームページを見ると、「渉外賓館」と明記してある。つまり、外国人が泊まれるホテルなのだ。電話して宿代を尋ねたら、パソコン付きの部屋で1泊180元とのこと。これは安い。
念のため、
「そちらのホテルは、外国人でも泊まれますか?」
と尋ねると、
「中国語を話せれば泊まれます」
という返事だった。フロントに英語を話せる人がいないのだろう。
さらに、
「日本人でも泊めてもらえますか?」
と尋ねると、またもや、
「中国語を話せれば」
とのこと。

抗日軍政大学の跡地に建つ「抗大賓館」なのに、「日本人」という単語に対して、まったく何の反応もなかったのにはちょっと驚いた。巷では尖閣問題で大騒ぎ、昨年はパナソニックやトヨタが襲撃され、北京の一流ホテルでは日本人に対する宿泊拒否が公然とおこなわれているというのに。

思うに、北京やその他の大都市から遠く離れたこの延安の地では、抗日はすでに歴史的事実としてしか存在せず、「抗大賓館」で働いている人でさえ、日本に対して特別なこだわりはないのかもしれない。
延安は、中国現代史のなかではすでに「古都」であって、現在進行中の生臭い問題からは遠く離れた場所。喩えるなら、日本にとっての奈良のような場所なのだろうと思った。街の雰囲気もちょうどそんな感じだ。

(つづきます)





posted by 陳ゆう at 21:21 | 旅の記録 延安 / 革命聖地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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