2013年03月03日

ケ小平の故郷を訪ねる 2 ケ小平の生家

ケ小平の故郷(四川省広安)を訪ねる 2 ケ小平の生家

城北バスターミナルから「協興」行きのバス、または、城南バスターミナルから8路のバスに乗り、「ケ小平故里」のバス停で下車すると、道路の向こう側に大きな構えの正門が見える。これが「ケ小平故里記念園」の入口。

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この記念園の整備が始まったのは、ケ小平が亡くなった4年後の2001年。その年のうちに一部が公開され、2004年には陳列館が完成した。
ケ小平故里記念園の公式ホームページはこちら

正門の前にある大きな石碑には、中国語と英語、そしてなぜか日本語で、「ケ小平の故郷」と書いてある。ここまで観光に来る日本人が多いとは思えないが、どういう経緯で日本語を併記することになったのだろうか。なんだか、驚いた。

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門の向こうには、600畝(60,000u弱)の森が広がる。入場にはチケットが必要。このチケット(免費参観券)は無料でもらえる。

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何でも商売にしてしまう中国でも、共産党関連の偉人を商売ネタにするのは御法度らしい。湖南省の毛沢東の生家も、毛沢東の遺体を保存している天安門広場の毛沢東記念館も、入場は無料だった。
ケ小平の生家も同様。門の右横にチケットの配布窓口があり、1時間に1000枚まで無料で配っている。入場券というより、整理券である。

なお、同じ窓口で付近の観光地の入場券も売っているので、間違ってお金を払って買ってしまわないように。

チケットの裏面は場内地図になっている。

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門を入ると、美しく整備された森の中の道が続く。
最初の見学ポイントは左側の小道の先にあるケ小平の父親(ケ文明 本名はケ紹昌)の墓。ケ文明は、成都の学校を卒業したインテリで、故郷の広安に戻ってからは軍閥のなかで権勢を振るった。いわゆる地元の名士である。

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敷地内の森の一部は、政府の各組織からの寄贈という形式になっている。森にはそれぞれの寄贈者にちなんだ名称がつけられ、石碑が立っている。軍や、各地の地方政府のいろいろな部門を示す石碑が、森の中に点々と建っている。

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森に囲まれたこじんまりとした広場に、ケ小平の銅像があった。
ちなみに、ケ小平は生前は自分の銅像の建立を許さなかった。「大事な国の財産を使ってそんなものを造るな」と述べたとのこと。
銅像の前には記念写真業者もいて、撮影した写真をマグカップに焼き付けてくれるサービスもある。もちろん、これは有料です。

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ケ小平記念館

やがて、ケ小平記念館の大きな建物が見えてくる。
ケ小平の生涯を、写真と遺品で時系列に沿って紹介する博物館である。
ケ小平の人物像がうかがわれる展示物が多いので、中国の政治や歴史に詳しくない私でも面白く観覧できた。

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ケ小平は15歳で広安県の中学校を卒業したあと、フランスに留学(現地で働きながらの留学)をするために、重慶の留学準備学校に進んだ。これはその卒業証書。
写真では判読できないが、ケ小平の幼名である「ケ希賢」が記載されている。

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ケ小平は1920年に上海から船で1ヶ月以上かけてマルセイユに渡り、1926年1月まで約5年間フランスに滞在する。
下の写真は、フランスに渡航する際に総領事館に提出された就労留学生の名簿。就労場所は鉄工所になっている。多くの中国人の名前とともに、ケ小平の名前も記載されている。

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展示物の多くはガラスケースに入っており、照明が反射して写真に写りにくい。たくさん写真をとったのだけど、ここに掲載できる出来の写真があまりないのが残念。

16歳でフランスに留学したケ小平は、滞在費と学費を稼ぐために工場で働いた。
途中からは働くほうが本業になり、数々の職業を転々とした。その多くは重労働だった。後に、本人が、「私の背が伸びなかったのは、若い頃に重労働をしたせいだ」と冗談で語っている。

当時、フランスには社会主義思想に共鳴する若者たちのグループがあった。ケ小平は1922年、18歳で、中国共産党に入党する。当時ヨーロッパは中国共産党の活動拠点となっており、ケ小平が入党した翌年23年の時点で、党員数は500名を超え、中国国内の党員数よりも多かった。
ケ小平は、欧州中国共産党の機関誌の発行に才能を発揮し、丁寧な仕事ぶりが高く評価された。6歳年上の周恩来と知りあったのも、このフランス滞在中だった。


この頃にケ小平が働いた工場のひとつに、ルノーの自動車工場がある。
1920年代のルノーの工場の写真が展示されていた。

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このころケ小平が作ったルノー車に乗った人もいるわけだ。
ちなみに、こういう縁(?)があるわりには、今の中国ではルノーの車(というか、フランス車)はほとんど走っていない。シトロエンはごく稀に見かけるが。中国人はフランス好きだと思うのだけど、フランス車がほとんど走っていないのはどうしてだろう。


工場と言えば、ケ小平は文革の時代に失脚して江西省に下放され、トラクター工場で働いた。そのトラクター工場の内部が展示館の建物内に再現されている。
午前中はここで工員として作業し、午後は読書などして過ごしたとされている。

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ケ小平はもともと手先が非常に器用だったらしい。そのうえ、フランス時代には工場で金属加工や機械の組み立て作業を経験した。このトラクター工場でもよい仕事ぶりだったと言われる。

江西省時代にケ小平一家が暮らしていた家の写真も展示されていた。
なんだかずいぶん立派な家だ。この家の2階にある3部屋がケ小平とその妻に与えられていた。失脚して下放されたとはいえ、やはりそれなりの扱いを受けていたんだろう。

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文書類

ケ小平の政治家としての経歴を示す各種文書の原本もたくさん展示されていた。
時代は前後するが、これは毛沢東による任命書。1954年に、ケ小平が国防委員会副主席に任命されたときのもの。

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これは第十三回共産党全国代表大会の出席証。

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下の写真は、昨今日本でも話題になっている日本の外国人記者クラブでの尖閣諸島(釣魚島)に関するケ小平の発言の場面。いわゆる棚上げ論を述べたときのもの。

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ケ小平が軍の主席時代、閲兵に使用した紅旗の実物が展示されていた。
紅旗というエンブレムはついているが、市販の紅旗とは全く違う車。巨大で、乗用車というより、トラックなみの車体だ。
みなさん車の前で記念撮影。人気の展示物のよう。

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これはケ小平が亡くなる直前まで愛用していた腕時計。

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中国製なのかと思ったら、スイス製の高級腕時計だった。
http://www.vacheron-constantin.com/jp/


ケ小平の生家

ケ小平記念館を見学し、森の中をさらに進むと、ケ小平の生家がある。
中庭をコの字形に取り囲む三合院のつくりで、立派な家である。部屋は全部で19あり、今はそのほとんどが公開されている。

当時、生家は3.5ヘクタール程度の農地を所有して、年間10トン程度の穀物を生産し、余裕のある生活をしていたとのこと(後掲参考図書)。ちなみに、毛沢東の生家もよく「豪農」と書かれるが、所有していた農地、生産量ともにケ小平の実家の三分の一程度だった。

正面から見ると、左右に大きく広がったつくりになっている。
ケ小平の部屋は、この写真でいうと向かって左側にある。

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ケ小平は幼少期からフランスに留学する直前までこの部屋で暮らした。
木製のベッドが当時のままに置いてある。

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壁には、ケ小平が通った地元の小学校と中学校の写真が貼ってある。

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こちらは、ケ小平の父母が使っていた部屋。

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台所。

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※ この稿を書くにあたっては、矢吹晋先生のケ小平 (講談社学術文庫)
を参考にさせていただきました。とてもお勧めの本です。ケ小平の人物像や生涯に興味のある方は、ぜひ読んでみてください。



【旅の記録 ケ小平の故郷 四川省広安の最新記事】
posted by 陳ゆう at 23:30 | 旅の記録 ケ小平の故郷 四川省広安 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月24日

ケ小平の故郷を訪ねる 1  場所・交通

ケ小平の生家は四川省の広安市(当時は広安県)の農村にある。広安市は、重慶から高速道路で2時間半程度の距離。高速道路のおかげで便利になったけれど、ケ小平が生きていた時代にはどちらかといえば僻地だったろう。

四川省広安市のケ小平故里の場所はここ http://goo.gl/maps/k7CEE


大きな地図で見る

ケ小平は16歳でフランスに渡るために広安を離れた後、生涯をとおして一度も故郷に戻っていない。父母が亡くなったときにも戻らかなった。だから広安はケ小平の故郷ではあるものの、今この街に残っているのは生家の建物くらいで、政治家ケ小平の歴史を示すものは特にない。
ケ小平の遺灰は遺言に従って海に散骨されたので、彼自身の墓もない。
こんな広安にはさしたる見どころはなさそうだけれど、ケ小平の生地の空気だけでも感じてこようと、行きは鉄道で、帰りはバスで、はるばる行ってきた。

今、中国では「紅色の旅」(紅色旅遊)というのが流行っている。「紅色」は、つまり「アカ」であって、中国共産党の史跡を巡る旅行が「紅色の旅」である。
ケ小平はかつて10年以上にわたって中国を指導し、今の経済発展の道筋をつけた。死後15年になる今、「紅色の旅」の目的地の一つとして広安市は人気の旅行先となった。
ケ小平の生家の周辺は美しく整備され公園になっている。公園の名称は「ケ小平故里記念園」。園内には立派なケ小平記念館も建設された。これらは無料で観覧できる。


広安市

広安市は、四川省の東北部の小都市。都心部にはビルが立ち並ぶ。しかし、市域の大部分は今でも農村だ。一番近い大都市は四川省の省都の成都ではなく、直轄市の重慶。重慶から高速バスで約2時間半の距離。
鉄道にも広安駅があるが、広安駅は広安の市街地から約30km離れている。私はこの鉄道駅から広安に入った。

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駅のまわりには高い建物はないが、かと言って辺鄙な場所という感じでもない。
道路は広く、よく整備されており、5,6階建てのビルが両側に並ぶ。
メインストリートを一本離れたあたりには、集合住宅も多い。

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広安で鉄道を降りる客の多くは巨大な荷物を背負っている。出稼ぎから戻ってきた農民たち。本人の体と同じくらいの荷物を背負っている人も多い。中身は身の回り品のほか、布団なども入っているのだろう。

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初めての街で全く土地勘がないので、とりあえず人の流れに着いて行く。
駅から100mほど歩いた先の川を渡った右側に、バスターミナルがあった。前鋒バスターミナルという名称。「前鋒」なんていかにも社会主義っぽい名前である。さすがはケ小平の故郷のバスターミナルである。地図を見たら、この地の地名も「前鋒鎮」なのだった。

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バスのチケットを買う行列に並ぶ人の多くは出稼ぎ農民。
ここからさらに何時間もかけて、故郷の農村に帰るのだろう。

私の番が回ってきたので、窓口で「ケ小平の生家に行くにはどういけばよいですか」と尋ねてみた。
ここからバスで広安中心部の城北バスターミナルまで行き、そこでさらに別のバスに乗り換えるのだと教えてくれた。
「白タクがいっぱいいるから騙されないように気をつけなさい。」
とも言われた。
白タクの客引きには、先ほど駅の改札前でもみくちゃにされたばかりである。

8元で城北バスターミナル行きのチケットを購入。指示された乗り場で待っていると、ほぼ定刻どおりに11人乗りのIVECO(イベコ)がやってきた。「快車」と書いてある。途中で客を拾わず、広安市街地までノンストップで行く車だ。
ちなみに、IVECO(イベコ)はフィアット傘下のイタリアの自動車会社。主に商用車を製造している。中国では南京に工場がある。日本ではまず見かけないIVECOだが、中国の田舎を旅すると、しょっちゅうこの車に乗ることになる。

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約40分で広安の市街地北部にある「城北バスターミナル」に到着。

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旅行に出る前に、インターネットでケ小平の生家への交通機関について事前調査をしたのだけれど、広安市に着いてからケ小平の生家への交通手段が、どうにもよくわからなかった。
インターネットで調べたところによると、広安市内には4つのバスターミナルがあるらしかった。「城北」「城南」「市総」「市中心」の4つ。この4つのバスターミナルの情報が錯綜して、市内の移動方法がよくわからなかった。

現地に行ってみたら、この問題は、あっさり解決した。実は広安市街地のバスターミナルは2つしかなかった。2つのバスターミナルは、それぞれ正式名と通称をもっている
「市総ターミナル」  (通称「城北ターミナル」)
「市中心ターミナル」  (「通称「城南ターミナル」)
という名称で呼ばれている。バスターミナルの建物に書いてある名称は「市総」と「市中心」。路線バスのバス停の名称は「城北」と「城南」。これが頭が混乱した原因だった。
広安市の「城北」「城南」各バスターミナルから、ケ小平の生家へのバスが出ている。

城北バスターミナルの切符売り場で、
「ケ小平の生家に行きたい」
というと、「協興」と書かれたチケットを渡された。片道2元。ケ小平の生家は、当時の地名でいえば、「四川省広安県協興郷牌坊村」にある。広安の市街地から約5km離れている。

切符を買ったときに指定された乗り場で待っていると、時間に少し遅れて係員が呼びに来た。ターミナル入口付近に停車しているマイクロバスに乗車し、満員の状態で郊外へ向かう。フロントガラスには、「小平故居」と書いてあった。

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途中数か所のバス停で人が乗り降りして、20分程度で「ケ小平故里記念園」に到着。
ここが終点ではないので、周りの人の動きに注意している必要がある。多くの人がこのバス停で降りるので、一緒に降りればよい。
中国のバスの運転手はのんびり待ってはくれず、降りようとしている人がいても平気でドアを閉めてしまう。だから、停車したらあわてて降りなければならない。

左側にこういう門が見えたら目的地。

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ここには路線バスの停留所もある。バス停の名称は「小平故里」。
あとで言及する「城南パスターミナル」から8路の路線バスで来る時は、このバス停で降車する。

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帰り方

ケ小平の生家の見学談は後回しにして、ついでにここで帰り方もまとめて書いておく。

「ケ小平故里記念園」の門は2か所あり、それぞれの門の前に「城南バスターミナル」行きの路線バスの停留所がある。正門の前にあるのは「小平故里」。もう一つの門の前には「牌坊新村」という停留所。要するに、どちらの門から出ても、目の前にバス停がある。
私は帰りは重慶にでるつもりだったので、路線バスに乗って、重慶行きのバスがある城南バスターミナルにでた。城南バスターミナル行きの8路のバスは頻繁にある。「ケ小平故里記念園」から城南バスターミナルまでは25分程度。値段は1元。

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城南バスターミナルは、かなり大きなバスターミナル。

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ここから、ほぼ30分に1本、重慶の「菜园坝バスターミナル」行きのバスが出ている。値段は55元。所要時間約2時間30分。このほか重慶の空港(江北空港)へも1時間30分に一本程度の間隔で直通バスが出ている。値段は51元。所要時間2時間程度。
このバスの側面には、可愛らしい書体で「ケ小平の故郷」と大書してある。広安といえばケ小平なのだろう。ちなみに、私は知り合いに広安出身の人がいるが、出身地について尋ねられると必ず「ケ小平の出身地」という言葉を交えて説明していた。

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重慶からの日帰り旅程

ケ小平の生家を見ることだけが目的ならば、重慶からのバスによる日帰りの旅程をお勧めします。広安で宿泊しても特に面白いものはないので。
午前中、重慶の「菜园坝バスターミナル」か、または江北空港から、広安市の「城南バスターミナル」まで前述の高速バスで行き、8路の路線バスで「ケ小平故里記念園」まで往復して、夕方のバスで重慶に戻る、というスケジュールは、まったく無理のない旅程であると思います。広安での滞在時間は5時間あれば十分。
注意点としては、重慶行きの午後のバスは2本くらい先まで満席になってしまうので、広安に着いたら、まず帰路のチケットを確保しておいたほうがよいと思います

 → 次のエントリでは「ケ小平故里記念園」を紹介します。




posted by 陳ゆう at 21:25 | 旅の記録 ケ小平の故郷 四川省広安 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月15日

尖閣諸島の天気予報


天気予報によると、尖閣諸島の明日の天気は、曇りで、北の風、最高気温18度、最低気温16度らしい。
ただし、日本の気象庁ではなく、中国気象局による天気予報ですが。

「中国天気」釣魚島 
http://www.weather.com.cn/weather/101231001.shtml

中国気象局が運営している「中国天気」というウェブサイトでは、中国全土の天気予報を見ることができる。そのサイトに、釣魚島(尖閣諸島)の予報が出現したのは昨年9月のこと。

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以前記事にしたとおり、中国の天気予報図には以前から釣魚島(尖閣諸島)が描かれていた。しかし、地名は入っておらず、天気の表示もなかった。

日本政府による国有化を契機として、気象局のウェブサイトに加え更に国営テレビでも、毎日、釣魚島(尖閣諸島)の天気予報が放送されることになった。

日本政府と地権者が尖閣諸島の売買で基本合意したことが日本のメディアにより報道されたのは昨年の9月5日。政府の正式発表は9月10日、所有権移転登記を完了したのは9月11日だった。

まさにその9月11日の夜から、中国国営テレビの天気予報に釣魚島(尖閣諸島)が登場した。
日本政府による国有化の進展状況をにらみつつ準備を進め、国有化手続完了のその日の夜に即座に反応したということのよう。

「記念すべき」第一回目の放送内容は、下のサイトで見ることができる。

http://www.weather.com.cn/video/lssj/09/1714271.shtml

第一回目なので、釣魚島の気象観測について、簡単な説明が付されている。
いわく、中国気象局は長年にわたり中国固有の領土である釣魚島付近の気象観測を続けており、船舶や漁民のために天気予報業務をおこなってきた。今後は毎日四回、釣魚島の天気予報を発表する。とのこと。

ところで、前掲の「中国天気」のサイトでは、いつみても釣魚島の現在気温が「7度」か「8度」と表示されている。天候や昼夜の別なく、常に「7度」か「8度」だ。
今日の最低気温は14度と表示されているのに、なぜ現在気温は8度なのか。適当に表示するにしても、最低限のつじつま合わせくらいはすればよいのに・・・
手間をかけているわりには、肝心のところがどうにもいい加減である。

この中国気象庁のサイトには、釣魚島問題の特集サイトもある。

http://www.weather.com.cn/zt/tqzt/714113.shtml

釣魚島の歴史や領有権の主張は、気象局の管轄外だと思うのだけど・・・
国を挙げて動いている、という感じですね。





posted by 陳ゆう at 23:00 | 雑記帳 日中関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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